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 須走は静岡県の最北端に位置し、山梨県境に近く豊かな自然に恵まれた富士山のふところにいだかれた町であり、野鳥の繁殖地として全国的に知られている。この地区は、平安末期以来足柄から篭坂峠を越え、甲斐(山梨)に通じる鎌倉街道沿いの交通の要衝として、また、山岳信仰(富士講)の信者が足を休めた宿場町として発達してきた。ところが、宝永4年(1707)の富士の大噴火により3mあまりの灰に埋まり、さらに享保17年(1732)の大火で村内の7割に当たる60戸が灰燼に帰すという大きな災害を受け、村は滅亡寸前にまで追いこまれた。しかし、村民の不屈の努力と相模・甲斐・駿河の三国の人馬が往来する地理的条件に恵まれたため、ようやく再度の災難から立ち直ることができた。 

明治30年(1897)、御殿場駅から鉄道馬車が開通し、貨物輸送方法の改良と運輸量の増加により物資中継地としていっそうの発展が期待された。 

しかし、国鉄中央線が開通した結果、貨物輸送が大幅に減少し、しだいに昔日の面影を失い、夏は登山客を、秋から冬にかけては薪炭材の伐採の他に生計を維持する方法はなかった。 

 特に海抜800mという県下の最高冷地である上に火山灰地という恵まれない立地条件は農業はもとより他の産業の発展を妨げ、戸数も減少の一途をたどった。第二次世界大戦後も状況は変わることなく静かに時だけが流れた。 

昭和29年、陸上自衛隊富士学校の建設誘致が実現すると状況は大きく変わった。水道の敷設、中央道の開通、公営住宅の建設が進むにつれて、自衛隊員とその家族が多数移住してきた。 

 それに伴って一般商店、飲食店も激増し、大幅な人口の増加により村の体質は一変し、一躍活況を呈するようになった。 

その後、経済の高度成長、レジャーブームの到来によりゴルフ場を始めとする観光産業が発達し、さらに道路の整備が進んだ結果、大企業の下請工場の進出が著しく、現在は陸上自衛隊富士学校を中軸にした自衛隊と高原観光そして生産体質を整えた町として発展しつつある。 

 学区の面積は43km²と広いが集落面積は比較的狭く、商店街・住宅地が密集しその周りを富士学校、演習場、ゴルフ場、別荘地、中小工場がとりまく形になっている。 

広い面積を持つ学区の割に、住宅地が密集しているので、児童の通学に要する時間は短く、徒歩で15~20分程度がほとんどである。  

公開日:2024年10月28日 11:00:00
更新日:2024年10月28日 13:17:35